安保理とソ連 2
58年6月のレバノン問題のときは、レバノンの複雑な内政問題があって、大国の利害も入り乱れました。
そこでアメリカとソ連が決議案を出し合って、お互いに拒否権を行使して葬ってしまうということになり、安保理は機能できない状況に追い込まれました。
そして、ソ連の提案で緊急総会が開かれるということになります。
このとき緊急総会は、実質的にはほとんど目立った行動はなかったのですが、記憶していただきたいのは、ソ連も、安保理が動かないときには、緊急総会開催のイニシアティブをとったという実例があるということです。
60年6月のコンゴ事件で争われたのは、コンゴの独立後の内乱について国際社会としてどのように対処するかという問題でした。
初めのうちは安保理の決定で国連平和維持軍を送り込むということで、安全保障理事会が機能していました。
しかし、内乱の一方の指導者のルムンバ首相が国連の行動に対して批判的になりますと、これを支持するソ連が、ハマーショルド事務総長の、ソ連からいわせると「独断と専行」に対して敵対的になりました。
そのために安保理は機能しなくなってしまいます。